2010年 08月 22日
旅先の高知にて *3*
今回は高知の旅の記録の最終話、情熱の!(いや全然...)『高知城』編になります。
先日お伝えした『はりまや橋』から徒歩で約10分、『高知城』へやってきました。


高知公園の中に建っています(この写真だと位置が見づらいかも...)
Wikipediaより由来を書くとこんな感じです。
高知平野のほぼ中心に位置し、鏡川と江の口川を外堀として利用している。
現在見られる城は江戸時代初期に、土佐藩初代藩主・山内一豊によって着工
され、2代忠義の時代に完成した。4層6階の天守は、一豊の前任地であった
掛川城の天守を模したといわれている。
明治6年(1873年)に発布された廃城令や、第二次大戦による空襲を逃れ、
天守・御殿・追手門など15棟の建造物が現存し、国の重要文化財に指定され
ている。
なお、昭和25年(1950年)の文化財保護法施行以前の旧、国宝保存法にお
ける「国宝」は文化財保護法における「重要文化財」と同等のものである。
また、この15棟の現存建造物に加えて、土佐山内家宝物資料館に丑寅櫓の
一部であると伝わる部材が収蔵されている。
高知城全域は高知公園として開放されており、本丸御殿・天守は懐徳館とい
う資料館として利用されている。
高知城の周辺には、高知市役所、高知県庁、地方裁判所、地方検察庁などの
行政機関や司法機関が立ち並び高知県の行政の中心地となっている(県庁舎
のみ実質的には公園内にある)。
また、城内には山内一豊、板垣退助の銅像がある。
とにかく訪れたときは猛暑!で、城内のあちらこちらで名物『アイスクリン』
の看板が... 『桂浜』ですでに食べていたので、食べたいなぁ〜という誘惑を
抑えるのに必死でした(笑)
『功名が辻』で山内一豊と、妻である千代との仲睦まじい夫婦愛を感動しな
がら観ていたので縁ある高知城に来ることができて本当に嬉しかったです。

千代が一豊のために用意した馬
千代は非常に教養高い人で、政治・外交的にも優れていました。一豊没後も
その政治・外交力を発揮したそうです。
一豊が織田家の一家臣でしかなかった頃、馬揃えがありました。
馬揃えとは、行なわれる戦の前に馬を一堂に集めてその検査をすることです。
一豊はその頃に馬売りが連れてきた駿馬を見て欲しいと思うけれど、十分な
お金がありませんでした。
それをみかねた妻・千代は「夫に何かあったら...」と父親から嫁入りの時に
渡された大切な10両を一豊に渡し、一豊はその10両で駿馬を買ったのです。
( 米1石=当時の人ひとりの1年分の米消費量 の価格が1両前後だったそう
なので現在の貨幣価値で約6万円とのことです。なので10両は約60万円とい
うところでしょうか...)
そのみごとな馬は信長の目をひき、感心されたそうです。
秀吉の没後、権力争いの動きが見え始め再び戦乱の世へと傾いたとき、一豊は
早くから家康に対して忠誠を見せていました。
関ヶ原の戦の前には、大阪にいる千代は石田三成の監視下に置かれながらも
一豊に豊臣側の情報を送りました。
ある時、一豊は千代から「自分はどうなってもいいから、家康に忠義をつくし
なさい」という内容の密書を受け取るのですが、千代はその密書を開封せずに
家康に渡す事を彼に言づけます。
一豊はその千代の言葉通り、開封することなく家康に密書を渡し自分の忠義を
示しました。
これらの逸話はとても有名で、千代の内助の功によって一豊は出世できたとも
言われます。

独身の時は結婚に夢というか、憧れというか...そういうことを持つのがごく
普通のことだと思いますし、私自身もその一人でした。
私は千代のような賢い女性ではありませんが、だんな様と結婚をして日々の
どんな出来事も楽しむことを知りました。
本当に楽しいことはもちろんですが、時には辛いことも...
きっと千代は夫の出世を望んではいたと思います。
ですが、それだけではなく
夫が望んでいること、彼の求めるニーズ
に彼女が純粋に応えたいと思った、その想いを彼女自身楽しんでいたので
しょうね。
戦時下だからこそ、より一層そうでなければ...と思っていた気がします。
その愛情が山内一豊という存在を作りあげたのではないかと感じました。

たくさんの階段を汗をふきふき登って

城内へ...

江戸の頃の城下町の様子が模型でわかりやすく展示されていました
城内の急な階段を順番に進むと...

天守閣の最上階に着きました!風が気持ちよくて見晴らし最高♪
高知県に何度もこれまで訪れていながらも知らないことがたくさんありま
した。
ようやくこうやって時間を取って先人の方々の想いを感じる旅ができて本
当によかったと思いました。
今生きてる私がこのような偉人にはなれなくても、もがいたりしながらも
一生懸命に生きていることが歴史の中の礎のひとつになることは間違いあ
りません。人や物事や何かに関わらずには生きていけない存在だから。
ですが、彼らのような夢や希望を持って未来をめざす志しは素直に見習い
たいものですね ^ ^
先日お伝えした『はりまや橋』から徒歩で約10分、『高知城』へやってきました。


高知公園の中に建っています(この写真だと位置が見づらいかも...)
Wikipediaより由来を書くとこんな感じです。
高知平野のほぼ中心に位置し、鏡川と江の口川を外堀として利用している。
現在見られる城は江戸時代初期に、土佐藩初代藩主・山内一豊によって着工
され、2代忠義の時代に完成した。4層6階の天守は、一豊の前任地であった
掛川城の天守を模したといわれている。
明治6年(1873年)に発布された廃城令や、第二次大戦による空襲を逃れ、
天守・御殿・追手門など15棟の建造物が現存し、国の重要文化財に指定され
ている。
なお、昭和25年(1950年)の文化財保護法施行以前の旧、国宝保存法にお
ける「国宝」は文化財保護法における「重要文化財」と同等のものである。
また、この15棟の現存建造物に加えて、土佐山内家宝物資料館に丑寅櫓の
一部であると伝わる部材が収蔵されている。
高知城全域は高知公園として開放されており、本丸御殿・天守は懐徳館とい
う資料館として利用されている。
高知城の周辺には、高知市役所、高知県庁、地方裁判所、地方検察庁などの
行政機関や司法機関が立ち並び高知県の行政の中心地となっている(県庁舎
のみ実質的には公園内にある)。
また、城内には山内一豊、板垣退助の銅像がある。
とにかく訪れたときは猛暑!で、城内のあちらこちらで名物『アイスクリン』
の看板が... 『桂浜』ですでに食べていたので、食べたいなぁ〜という誘惑を
抑えるのに必死でした(笑)
『功名が辻』で山内一豊と、妻である千代との仲睦まじい夫婦愛を感動しな
がら観ていたので縁ある高知城に来ることができて本当に嬉しかったです。

千代が一豊のために用意した馬
千代は非常に教養高い人で、政治・外交的にも優れていました。一豊没後も
その政治・外交力を発揮したそうです。
一豊が織田家の一家臣でしかなかった頃、馬揃えがありました。
馬揃えとは、行なわれる戦の前に馬を一堂に集めてその検査をすることです。
一豊はその頃に馬売りが連れてきた駿馬を見て欲しいと思うけれど、十分な
お金がありませんでした。
それをみかねた妻・千代は「夫に何かあったら...」と父親から嫁入りの時に
渡された大切な10両を一豊に渡し、一豊はその10両で駿馬を買ったのです。
( 米1石=当時の人ひとりの1年分の米消費量 の価格が1両前後だったそう
なので現在の貨幣価値で約6万円とのことです。なので10両は約60万円とい
うところでしょうか...)
そのみごとな馬は信長の目をひき、感心されたそうです。
秀吉の没後、権力争いの動きが見え始め再び戦乱の世へと傾いたとき、一豊は
早くから家康に対して忠誠を見せていました。
関ヶ原の戦の前には、大阪にいる千代は石田三成の監視下に置かれながらも
一豊に豊臣側の情報を送りました。
ある時、一豊は千代から「自分はどうなってもいいから、家康に忠義をつくし
なさい」という内容の密書を受け取るのですが、千代はその密書を開封せずに
家康に渡す事を彼に言づけます。
一豊はその千代の言葉通り、開封することなく家康に密書を渡し自分の忠義を
示しました。
これらの逸話はとても有名で、千代の内助の功によって一豊は出世できたとも
言われます。

独身の時は結婚に夢というか、憧れというか...そういうことを持つのがごく
普通のことだと思いますし、私自身もその一人でした。
私は千代のような賢い女性ではありませんが、だんな様と結婚をして日々の
どんな出来事も楽しむことを知りました。
本当に楽しいことはもちろんですが、時には辛いことも...
きっと千代は夫の出世を望んではいたと思います。
ですが、それだけではなく
夫が望んでいること、彼の求めるニーズ
に彼女が純粋に応えたいと思った、その想いを彼女自身楽しんでいたので
しょうね。
戦時下だからこそ、より一層そうでなければ...と思っていた気がします。
その愛情が山内一豊という存在を作りあげたのではないかと感じました。

たくさんの階段を汗をふきふき登って

城内へ...

江戸の頃の城下町の様子が模型でわかりやすく展示されていました
城内の急な階段を順番に進むと...

天守閣の最上階に着きました!風が気持ちよくて見晴らし最高♪
高知県に何度もこれまで訪れていながらも知らないことがたくさんありま
した。
ようやくこうやって時間を取って先人の方々の想いを感じる旅ができて本
当によかったと思いました。
今生きてる私がこのような偉人にはなれなくても、もがいたりしながらも
一生懸命に生きていることが歴史の中の礎のひとつになることは間違いあ
りません。人や物事や何かに関わらずには生きていけない存在だから。
ですが、彼らのような夢や希望を持って未来をめざす志しは素直に見習い
たいものですね ^ ^
profile... ayaka
日本スピリチュアル透視協会認定チャネラー
エンジェルカードと過去世透視を使いながら独自に感じた
メッセージを日々楽しみながら伝えている。
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by divcaf
| 2010-08-22 10:50
| 日々のつぶやき